Cradle of Coaches Clinic

  “Cradle” とは「ゆりかご」の意。

 The Cradle of Coaches とは、米国フットボール界に数多くの名コーチを輩出してきたマイアミ大オハイオに冠された名声で、1960年代にはこうしたポジションを確立したと言われている。

 そのマイアミ大オハイオがホストになって、将来フットボールをコーチしていく上で、より優れた指導者育成のために、実績と人格を備えたベテラン・コーチを招聘し、若手コーチの育成に寄与していこうという主旨をたて、1990年に設立されたのが 『Cradle of Coaches Clinic』 である。
 クリニック・スピーカーはマイアミ大オハイオのコーチをはじめ、NCAAのディヴィジョンを問わずに優れた実績を持つコーチ、高校コーチなどが招聘されて、それぞれが準備したトピックスをレクチャーする。

 なおマイアミ大オハイオにおけるThe Cradle of Coaches とは、同大卒業生でフットボールに限らず、その他のアスレチックス活動で功績を残した指導者たちも表彰するプログラムのことで、地元オックスフォードで開催されるフットボールシーズン最初のゲームのハーフタイムにその式典が催されている。


 マイアミ大オハイオが輩出してきたフットボールの名伯楽は、そうそうたる顔ぶれが居並ぶ。
 米スポーツ専門チャンネルESPNのフットボール解説者リー・コールソーによれば、「マイアミ大オハイオが生み出してきたコーチング・トラディションは、まさに『米カレッジフットボールの年史そのもの』であり、ある意味で別世界のような次元だ」と最大級の賛辞を送っている。
 
 古くは陸軍士官学校の全盛期を支えたアール“レッド”ブレイク(1918年卒)に始まり、NYジェッツでQBジョー・ネイマスを率いて1969年第3回スーパーボウル優勝を果たしたウィーブ・ユーバンク(28年)、オハイオ州立大で1942年に全米王座に輝いた後に、クリーブランド・ブラウンズを率い、のちにシンシナティ・ベンガルズのオーナーとなったNFLの革命家ポール・ブラウン(30年)などがその草創期のメンバーたちである。

 陸軍士官学校でブレイクのアシスタントを経験し、1958年にルイジアナ州立大を全米優勝させたポール・ディーツィール(48年)。ノートルダム大を1973年に全米優勝の復活に導いたエイラ・パーシージャン(49年)。
 マイアミ・ドルフィンズで“ノーネイム・ディフェンス”を築き上げて1972年のパーフェクトシーズン、翌年のスーパーボウル2連覇に貢献した守備の大家ビル・アーンスパーガー(49年)。ミシガン大を13度のビッグ10優勝に導いたボー・シェンベックラー(51年)に、フットボール弱小校のインディアナ大で1967年ビッグ10優勝を勝ち取ったジョン・ポント(52年)。
 アイビーリーグの名門イエール大で最多勝利コーチとなったカーメン・コーザ(52年)、前述のポント・コーチの後任でインディアナ大を率いたビル・マローリー(57年)など、米フットボール界のゴールデン・エイジを支えた要職がずらりと顔を揃えている。

 同大卒業生ではないものの、マイアミ大オハイオのコーチとして功績を残した面々もまたThe Cradle of Coaches にその名を刻んでいる。
 代表的存在にはオハイオ州立大の大御所として人気だったウディ・ヘイズ(49-50年ヘッドコーチ)や、近代ウエストコースト攻撃の基礎を築いてNFLパッシング・オフェンスの哲学に多大な影響を与えた奇才シド・ギルマン(43年アシスタント、44-47年ヘッドコーチ)、近年には2002年に、オハイオ州立大を全米王座に導いたジム・トレッセル(79-80年アシスタント)などもその一員である。

 マイアミ大オハイオは、オハイオ州のオックスフォードという街(シンシナチより35マイル北に位置)に1809年に設立。小学校教育、マーケッテング、会計学、エンジニアリングと応用科学などの分野に優れ、米国学業優秀公立大学に与えられる“パブリック・アイビー”の称号を持つオリジナル・スクールの一つだが、15000名規模の学生数の大学で、NCAA1部Aを勝ち抜くにはなかなか厳しい環境下にある。
 しかし、一方でこうした環境が優れたコーチングを発揮する人材を数多く輩出する背景にもなった。

 2003年シーズンにQBベン・ロスリスバーガー(2004年NFLドラフト一巡11位指名でピッツバーグ入り/今季ルーキー・オブ・ジ・イヤーを獲得)を擁して、所属カンファレンスのミッドアメリカン・カンファレンスを勝ち抜き、13勝1敗で全米10位の座を獲得。
 2004年度も所属カンファレンス東部地区優勝、8勝4敗の好成績を残している。